生きたい理由と死にたくない理由。
同じようなことですが、私の捉え方はちょっとだけちがいます。
若いころは、死というものを具体的に考えたことがなかったのですが(あたりまえか)、今はまだまだ生きたいし、まだまだ死にたくない。
40代のうちに、生きる目的をちょーっとだけ真剣に考えてみました。
【生きたい理由】
まだやりたいことがたくさんあるから。これに尽きます。
子どものころは、日常生活が当たり前の光景で、生きるとか死ぬなんて考えたこともなく、毎日目の前の与えられた課題を淡々とこなしていく・・・という感じだったように思います。
朝起きて、学校へ行って、勉強して、遊んで、宿題して、夜寝る。
「毎日一生懸命やっていきたいです」
なーんて言葉は、私にとってはとりあえず学校の作文に用いるためだけの文章で、一生懸命生きるということがどういうことかも、実はなんにもわかっていなかった。
社会人になって仕事をしているときも、結婚して子どもが生れたときも、その時々のイベントをこなす・・・ってな感じで、あっという間に時間が流れていきました。
転勤族の夫についてあちこち転居していたので、見知らぬ土地での育児は狭いアパートに子どもと二人っきり。
夜泣きもひどく、日中も常に抱っこしていないと寝てくれないわが子に、時々発狂しそうになったことも幾度となくありました。
学校行事だ、部活だ、クラブ活動だと、親が首をつっこまなければならないことも多々あり、めんどうに感じたのも事実。
それでも今となっては、子どもと一緒になって喜んだ楽しかった出来事だけが蘇ってきて、辛かったこと、大変だったことなんかも、懐かしい笑い話として語れるのだから、人間の脳の柔軟さには驚くばかりです。
現在、長男と次男は大学生で一人暮らしをしています。
長女も高校生となり、学校生活にも慣れた様子で、安心しています。
おかげで、私自身の自分だけの時間がずいぶん増えました。
教育費はまだまだかかりますが、3人の子どもたちが独立したあとの生活も、なんとなくイメージできるようになった今日この頃。
今年、50歳。
あと何年、何十年生きられるかな。
年金生活がどうなるかもわからないし、老後の悠々自適なんて生活はほど遠い。
それでも、無駄を省いて日々節約しながら、心は豊かに、そして満足できるお金の使い方ができればいいなぁと考えています。
第二の人生とよく言うけれど、残された人生の時間が見えてくる今だからこそ、過去の自分を振り返りつつ、ありのままに生きていけるような気がしています。
本当にやりたいことを見つけるのはこれから。
だから、まだまだ生きたいのです。
【死にたくない理由】
家族のことを考えたら、絶対に死ねません。
夫と私と共稼ぎでいるからこそ、我が家の現在の家計を保つことができています。
夫が死んだ場合は、私は遺族厚生年金を受け取ることができますが、私が今死んだら夫は遺族厚生年金は受け取れないという事実!
⇒遺族年金 私が死んだら夫はもらえない!
3人の子どもたちが全員社会人になるまでは、夫とともに力を合わせて働きたい。
奨学金や教育ローンを借りることなく、3人の子どもに借金を背負わせることなく、社会に送り出したい!という強い目標があります。
夫が死ぬなら(←コラ)、私は働きながら遺族年金も受け取れる。
けれども私が死んだら、夫の収入だけになってしまう。
ああ、絶対に無理。それでは我が家の家計は破綻してしまいます。
そしてもうひとつ、死にたくない理由。
我が家の家計は、私がすべて握っているからなのです。
給料をいただいたら、口座にお金を振り分ける、積み立てる。
長男と次男の生活費と家賃の振込。
春と秋には大学の授業料の振込。
どこにいくら貯金があるのかはもちろんのこと、株や投資信託積立のことも夫は知らない。
その他諸々の生活に関わるお金のすべての管理が、私だけしかわからない。
そんな現状に恐ろしくなって、昨年エンディングノートを作りました。
⇒エンディングノート一部作成 目標は潔い生き方
本当は、毎年手直ししていかなければならないのでしょうけど、現在エンディングノートは中途半端なままとなっています。
これじゃ、死ぬに死ねない。
【天寿を全うする】
地元のローカル新聞に、毎日のように「訃報広告」が載ります。
田舎なので、誰かが亡くなったというお知らせが新聞でわかるのですが、亡くなった理由は「闘病生活の末」だったり「不慮の事故」だったり。
そして「天寿を全うして」なんていう時もあります。
先日、「83歳 天寿を全うし」という広告をみて、とても違和感を覚えました。
83歳といったら、まだ平均寿命くらいだよなぁ。
それ以上に生きている人たちが半数はいるのに、83歳で天寿っていうのかなぁ。
天寿を全うしたかどうかなんて、その本人にしかわからない。
本当にやり残したことがひとつもなく、もう十分生きたから未練はひとつもない・・・。
そんな風に思いながら息をひきとることができる人ってどれくらいいるんだろう。
そんなことを思いながら、またまた生きる理由についてあれこれ考えてしまいました。
「自分のため」に生きたい。それが私の生きたい理由。
「家族のため」に死にたくない。それが私の死にたくない理由。
今年50歳。
私も天寿を全うした!と思えるまで生きたいなぁ。