健康が一番というなら病の人はどうすればいい

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久々に頭を殴られたような衝撃的な言葉を聞きました。
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「健康が一番というなら 病の人はどうすればいい」
本当にその通りです。
今まで、「健康第一」とか「健康が一番」などと、声を大にしていた自分が急に恥ずかしくなりました。


【お経の標語】
「健康が一番というなら 病の人はどうすればいい」
これは、京都のお寺のお坊さんが、浄土真宗の教えをもとに考えた標語。
ガーンとアタマを殴られました。
だって、これまでずーっと健康が一番の幸せだと思っていましたから。
もちろん、健康であることは、何にも代えがたい幸せなこと。
だから、今自分が健康であることが、どんなに幸せなことであり、それをかみしめながら生きていきたいと思っていました。
ただ、私の場合、年賀状などに一言添えるとき、必ずと言っていいほど
「健康第一」だとか「健康が一番ですね」
なーんて、書いていたような気がします。
健康が一番だなんて、あくまでも自分に基準を置いた言葉。
今、病を抱えて悩んでいる人は、どうすればいいのさ!
誰だって、好きで病気になるわけではない。
不養生や不摂生がたたって病気になる場合もあるけれど、例えば癌などの重い病の場合は、細胞レベルや遺伝子レベルの話であるから、自分ではどうにもできないことが多いというのに・・・。
「健康第一」なんて、それをわざわざ相手に伝えて、余計なお世話だわ・・・と、猛省しました。
【お経の現代バージョン】
毎年8月13日は、お墓参りに行きます。
お坊さんを呼んで、お墓の前でお経を唱えてもらいます。
毎年、何十年と繰り広げられてきた同じ光景の中で、私はこれまで一度も”お経”というものを真剣に聞いたことがありませんでした。
いや、真剣に聞いても何を言っているのかわからない・・・というほうが正しい。
お経を、誰にでもわかるように日常の言葉に置き換えて表わしたものが、京都の佛光寺(ぶっこうじ)の標語なのです。
まさにお経の現代バージョン。
これ、すごくわかりやすい。
自分のことは自分が一番わかっている・・・と言いながら、意外に自分のことは見えていないもの。
お経は、わが身を照らし出す鏡であり、自分を見つめなおすきっかけになるのですね。
お経にちょっとだけ関心を持ち、京都へ行ったさいにはぜひ佛光寺を訪ねてみたいとさえ思ったのでした。
【50代でやりたいこと】
そんなわけで、50代でやりたいことがひとつ加わりました。
京都・佛光寺のお坊さんの標語
「健康が一番というなら 病の人はどうすればいい」
これには続きがあります。
「元気も病気も いただいた命に向き合う 大事な縁だ」
すごく、すごーく心に染みました。
これまでの自分の見方が、少し変わったように思います。
自分の置かれた環境は、時に自分ではどうしようもなく変えられない現実となって立ちはだかることがありますが、それを嘆いたり悲しんだりするのではなく、自分自身の見方を変えることで、一歩踏み出すきっかけになるかもしれません。
現状をそのまま受け入れ、真剣に向き合うことで、毎日を懸命に生きることができるのかな・・・などと思ったりしています。
50代でやりたいこと。
それは、今日が最期の1日と思って一生懸命生きること!
いやいや、それじゃあ毎日が必死感いっぱいで、疲れそうだから・・・
今週が最期の一週間と思って・・・・
いやいや、今月が最期の一か月と思って・・・(←どんどん延びる)
とにかく、これまで以上に一生懸命に生きてみたいと思ったのでした。

我が家の1週間節約晩ごはん

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